Elephant in the Room

フィクションと死と医療をつなぐ実験的ブログ

自らの体験をつづる音楽というリアル

 ちょうどこのタイミングでひとつの詩集を手にした。

宇多田ヒカルの言葉

宇多田ヒカルの言葉

  • 作者: 宇多田ヒカル
  • 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
  • 発売日: 2017/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 偶然書店で見つけたのだが、こんな詩集があるといいのに、と考えていたところだったので驚いた。 

 宇多田ヒカルさんは最近になって注目していたアーティストのひとりであるが、その理由は歌詞にある。そのことは、地域医療ジャーナル 2016年10月号 vol.2(10) 特集号「医療は人を癒せるのか」(読者登録が必要)で書いたことがある。

 ここに一部引用する。

弔いの唄  

 

 自らの経験をふりかえってみても、家族との死別はあちら側へ思いを馳せるひとつのきっかけとなります。  

 残された者たちと在りし日をふりかえりながら、あちら側へ思いを馳せる葬送儀式を含めた悲嘆・死別のプロセスは、残された者の人生にとってかけがえのないものとなります。  

 こうした題材は、しばしば文学や映画などの芸術作品に取り上げられることがあります。最近の卑近な例として印象的な、宇多田ヒカルさんの作品を挙げておきます。

 6年前の「人間活動宣言」から音楽活動休止中、突然母を亡くされましたが、その体験を2つの作品として今年発表されています。

 ひとつは、みなさんすでに耳なじかもしれませんが、NHK朝の連続テレビ小説の主題歌となっている「花束を君へ」。軽やかな楽曲ながらも、薄化粧した亡き母の葬儀の様子が目に浮かぶような鮮やかな歌詞に、多くの人が涙したことでしょう。

 もうひとつがこちら「真夏の通り雨」です。

 

www.youtube.com

 

 

 避けられなかった母の死に対する宇多田さんの苦悩と悲しみが、赤裸々に綴られています。まさに、弔いの唄と呼ぶにふさわしい、すぐれた作品だと思います。

 

あちら側へ思いを馳せる / 地域医療ジャーナル

 

 母の自死による死別、というつらい体験を歌詞にして歌う。そのことが直接感じとれるからこそ、実体験と結びついた作品の評価や人気が高まるのかもしれない。

 歌はフィクションで描かれる死に比べて、より切実でリアルだ。

 音とコトバ、それをつなぐ能力はもちろんのこと、さらに心をえぐるような創作過程があることを思えば、シンガーソングライターという仕事は、本当にすばらしいと思える。

 

 この本のなかで印象深いのは、ソングライター水野良樹さんの一節だ。

 自分のことをさらけだし、あぶりだし、自分の言葉でそれらを編み、自分の声で歌う。それがシンガーソングライターであり、それがアーティストである。なにが特別なんだ、当たり前のことだろうと言うひともいるかもしれないが、それらの一連をほんとうの意味で成せるひとは、そうは、いない。

 

 全く同感である。

 以前から関心があったのは、曲を創作した「順番」だった。些細なことだと思われるかもしれないが、ぼくにとっては、どうしても本人に聞いてみたくなるほど知りたかったことだ。幸いなことに、詞を書いた時系列順に並べて収録されており、貴重な情報が得られた。

 「まえがき」では本人の作詞プロセスについての言及もあり、興味深い。

 

 あらためて楽曲を聴きながら、あちら側に思いを馳せ、現象をとらえることについて考えてみたい。

 

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