Elephant in the Room

フィクションと死と医療をつなぐ実験的ブログ

死を意識する手段としてのフィクション

「読んでみてください」と短編小説を手渡された。こんなことは、はじめての経験だ。著者はいつも外来に通院しているなじみの女性だった。

 

 最近、趣味で書き始めたそうだ。晩年になってから小説を書きたくなるという需要は一定数あるのかもしれない。講習会のようなものがあるのだろうか。どこかで手ほどきを受けたらしく、短編小説らしい体裁は整っていた。文字はパソコンで印字され、挿絵入りで製本されていた。

 

 グループホームを舞台とした、高齢者と職員の日常を描いた物語である。

 

 あらすじはさておき、最後に添えられていた「あとがき」が印象的だった。この作品の創作を通して、自分の余生をどのように過ごしていくかよく考え、死を見つめることができた、という趣旨のことが書かれていた。

  あとがきまで読んではじめて、自らの死に方に対して正面から向き合った作品だったことを知ることとなったのである。

 

 フィクションは死を表現する手段のひとつである。そのテーマには普遍性があるが、表現の仕方は多種多様であるだろう。死が近づきつつあり、死を意識した人の表現は、そうではない人の表現とは大きく異なるものなのだろうか。

 

 晩年になれば、表現する力や創作力は低下するかもしれない。しかし、技術の進歩によって、より死に近づいたところからでも、より表現力の限界に近いところからでも、作品創作が可能となっている。さらには、そういった作品をすぐに共有することも可能となっている。

 

 晩年の作品を集めるというのは、興味深いテーマかもしれない。僕らは晩年の作品から、かすかな声を感じとることができるのだろうか。

 

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