Elephant in the Room

フィクションと死と医療をつなぐ実験的ブログ

経験していないことの記憶をたどる

 物語をどのように作っているのか、フィクション化の作成過程に興味が湧く。作者のインタビューではその秘密の一端が垣間見える。

 村上春樹さんの数少ないインタビューの中で、この部分の解説はやや具体的だ。


少年カフカ

少年カフカ

 一見してマンガに見えるこの本は「海辺のカフカ」が出版されてから、期間限定で公開されたホームページに寄せられた、読者からの質問に村上春樹さんが答えたものを、本にまとめたものである。その中の、特別インタビューの部分から。


海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

フィクション化ということ

 「海辺のカフカ」の神話性についての質問で。

 僕がやるべきことはたぶん、それを言葉で説明することではなく、物語という新しい土地に移しかえることなんだよね。というか、物語的にそれを俯瞰すること。そこにあるビジョンを、フィクション総体にぱっと焼きつけてしまう。

 そこで、レインマンが床に散らばったおはじきを数えることを例える。

要するにものごとをべつの回路に放り込んでしまう。そしてその回路の持つ特定の整理を通して物事を理解する。簡単に言えばそれがフィクション化ということです。

 神話というのも、要するに別の同時的回路なんです。神話という元型回路が我々の中にもともとセットされていて、僕らはどきどきその元型回路を通して同時的にものごとのビジョンを理解するんです。<中略>物語が本来的な物語としての機能を果たせば果たすほど、それはどんどん神話に近くなる。

 ここではまさにフィクション化という言葉を使って説明されている。

 そしてさらにその後、小説を書くというのはどんなことか、という質問に対して。

 小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば、「経験していないことの記憶をたどる」という作業なんです。もっとわかりやすく言うと、あなたが未経験のロールプレイング・ゲームをする。でもそのゲームをプログラムしたのはあなたなんです。でもその記憶は、ゲームをするあなたの人格から失われてしまっている。その一方で、そのプログラムをしたあなたの人格はゲームをしていない。そういうかなり分裂的な作業なんです。

 経験していないことの記憶をたどると、それは自然に神話に近くなっていく。人間の頭脳の構造は古来からそれほど進化していないということかもしれない。

 経験していないことを経験する、あたかも経験したかのように体感できる、そのような錯覚を生む技術が、フィクションには必要なのだ。

 知れば知るほど、フィクションは高等技術に思える。「経験していないことの記憶をたどる」については、もう少し考えてみたい。

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