Elephant in the Room

フィクションと死と医療をつなぐ実験的ブログ

村上春樹を読まないでいる暇はない

 しばらく、村上春樹さんの世界に浸り続けた。長編作品にはとても惹かれるものがある。これらの作品の中にフィクションと死と医療をつなぐ、重要なヒントが隠されているのではないかと感じている。

 そこで、インタビュー集になにかヒントがないか、紐解いてみることにした。


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

地下二階

僕らは、ひとつの世界、この世界に生きていますが、しかし、その近辺には別の世界がいくつも存在しているのだと思います。もしも、あなたがほんとうに望むなら、壁を通りぬけて、別の世界へと入っていくことができるでしょう。ある意味、現実から自分を解放することは可能なんですよ。それこそ、僕が自分の本のなかで試みていることです。それはたいへん東洋的で、アジア的な考え方だと思います。

 「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」 magazine litteraire 2003年6月号

 自由自在に壁を乗り越えていくこと。境界があるようでないこと。これが旧来の日本の考え方であったはずだ。そして西洋文化が浸透した今でも、その考え方は生き続けているのではないだろうか。

 「地下二階の部分」と表現されているもの、古代まで遡っていける、これまで引き継いできたもの。根源的な記憶。

 普段は入ることのない暗い地下室はわれわれにはあり、その壁の一部分から別の世界へ通り抜けることができる。そのことを少し、忘れかけているのかもしれない。

自分たちは比較的健康な世界に生きている、とみんな信じています。僕が試みているのは、こうした世界の感じ方や見方を揺さぶることです。僕たちは、ときに、混沌、狂気、悪夢の中に生きています。

 「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」magazine litteraire 2003年6月号

 健全な世界に生きているという認識。みな健全になろうとする、なったほうがいいという傾向。健全と不健全にあたかも明確な線引きができるかのような風潮には、少し疑問をもったほうがよいかもしれない。

 誰しも地下二階はあるのだから。

閉鎖システム

若い人たちが家や制度から離れることは、イコール自由な生活をすることなのですが、ひとたび自由を得たあと、多くの人は人生のよりどころを失い、不安を感じることになります。

 「現実の力・現実を超える力」時報周刊 1998年8月9-15日号

 アジア人と同じく、日本人も孤独になることを望んできた。家から離れて暮らせる社会づくりを進めてきたのである。ところが、ひとたび家を離れると、孤独や不安に耐えなければならない。

冷戦時代には東西という二つのシステムの戦いでしたよね。それが、今では異種のシステムとシステムとの戦いみたいになっているという気がするんです。それは何かというと、オープン(開放)システムとクローズド(閉鎖)システムの戦いです。オウム真理教というのは完全にクローズドシステムで、外なる社会というのはオープンシステムですよね。それはひとつの社会体制と別の社会体制の対立ということではなく、同じ社会体制の中にも閉鎖系があり、開放系がある。そういう点では物事は以前よりずっと内向化しているし、複雑化しているし、見えにくくなっているところがある。

 「海辺のカフカ」を中心に 文學界 2003年4月号

 開放システムに解き放たれた日本人。それに耐えられずに、居心地のよい閉鎖システムに身を委ねた人たち。そのような社会背景の延長線上に地下鉄サリン事件がある、起こるべくして起きた事件なのかもしれない。

 閉鎖システムの恐ろしさは、こういうところだ。

動機が善なるものであるだけに、何が悪であり得るかという検証システムを欠くことになります。

 「海辺のカフカ」を中心に 文學界 2003年4月号

 善なる動機の閉鎖システムは危険なのだ。本来、悪と善は誰しも共存して持っているものだからだ。

 医療が、善を求める閉鎖システムになっていないか。そして、日本全体が、善を求める閉鎖システムに向かってはいないか。故郷を離れたわれわれ日本人は、家の「地下二階」に思いを馳せながら、ここで立ち止まって一度よく考えるべきなのかもしれない。

 あなたの地下二階は、どうなっていますか。

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